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ダニエル・バーンバウム「態度が形になるとき」(ゼーマン追悼記事) [Szeemann-Deleuze]

『アートフォーラム』2005年夏号掲載の追悼記事に遅まきながら目を通す。

1969年の「態度が形になるとき」展を、「展覧会実践の方法論における重要な転換点」と評す。また、ゼーマンがインディペンデント・キュレーターになった時期は、「美術界のインフラが現在の私たちのものとほぼ同様のものになり始めた時期」という指摘も印象に残る。

2001年にもバーンバウムによるインタヴュー記事があるという情報と、1991年発表のゼーマン自筆エッセイ「舞台化は愛(Inszenieren ist Lieben/ To Stage Is to Love)」が現代のキュレーティングに関する規範を物語るものだ、という情報について、要確認。

バーンバウムによるインタヴュー記事は以下。
Daniel Birnbaum, "Mama and Her Papa," Artforum May 2001.Vol.39, Iss. 9; pg. 69.
山大のオンラインジャーナルは2002年分からになっているため、閲覧できず。

その代わり、Find Articlesでテキストを閲覧。
http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m0268/is_9_39/ai_75914257

「『人類のプラトー』は『千のプラトー』に影響を受けたものだ、とゼーマンは冗談混じりに語った」という記述を発見。あなどれない。


ゼーマン・インタヴュー記事(独) [Szeemann-Deleuze]

Harald Szeemann
http://www.jnwnklmnn.de/szeemann.htm

ミューラーの評伝、註203に紹介されているインタヴュー記事。
英語版は以下。

A conversation with Harald Szeemann
http://www.jnwnklmnn.de/szeem_e.htm

表題は「詩的次元としての失敗(Failure as a poetic dimension)」。このディメンションの訳は、とりあえずこれまで「次元」で統一してきたが、結構、ゼーマン特有のキーワードになっていて、単に日本語の「次元」ですませてしまうのでは足りない気がする。私たちの現実世界、物質世界とは異なる「次元」で、アートや精神活動によって、それに携わる人々の間では、確固として存在しているけれども、そうでない人々にとってはそうではない、という、もろくて、はかなく、それでいて、広がりがあって、強烈ですらあるような、そのような「世界」のことだ。


ゼーマン展覧会年譜 [Szeemann-Deleuze]

Vision of Venezia
http://www.gospark.it/magazine/index.asp?Sez=01&Ord=7&Cod=207&SubSez=01&PageType=art&LastClick=3

Ex VotoをGoogle検索して発見。
展覧会が、個展、グループ展、テーマ展ごとに分類され、リストアップされている。
ミューラーの評伝の年譜にない展覧会も記載されていて、こちらのデータがより確度が高い。


ゼーマン伝記 [Szeemann-Deleuze]

頼まれ仕事を片づけて、久しぶりに自分本来の仕事に集中。

ゼーマンが担当したドクメンタ5(1972)の前の第4回展がまさに「1968年」の開催だったことにあらためて気づく。しかも「アメリカ化」が問題になっていた。

年譜から、1958年にはザンクトガレンでの「人間家族」の展示に携わっていたらしいことを知る。

伝記の著作者の語り口は、現在批判されている「キュレーターの専制」から意識的にゼーマンの立ち位置を擁護しようとしているのか、「アンチ=スーパー・キュレーター」、「アンチ=展覧会の作品化」を詳述しているように読める。

作者のハンス=ヨアヒム・ミューラーは、1992年にゼーマンを題材とした映画の脚本を書いていることを知る。また、セヴィーリャ・ビエンナーレでも美術批評家としてテキストを書いており、晩年まで続いたつき合いからこの伝記出版に話が展開したようだ。


ケ・ブランリ美術館 [Szeemann-Deleuze]

musée du quai Branly : homepage
http://www.quaibranly.fr/index.php?id=1&L=1

『朝日新聞』に紹介記事あり。

フランス国立人類博物館(Musée de l'Homme)は、トロカデロにあるが、サイトとしては国立自然史博物館から辿っていく。

Site officiel du Muséum national d'Histoire naturelle
http://www.mnhn.fr/museum/foffice/transverse/transverse/accueil.xsp?cl=en

8/8/06追記
ロハスを売りにしている雑誌『ソトコト』2006年9月号(No.87)がこの美術館の特集号になっている。


フランツ・ボアズ [Szeemann-Deleuze]

人類学の立場から文化相対主義を唱えた。

Wikipediaより。

グローバリゼーション時代に文化的差異が称揚されているが、その発想は案外遡ることになりそうだ。

8/8/06追記
中島成久編『グローバリゼーションのなかの文化人類学案内』より、文化相対主義に先行して「言語相対主義」があった、ということを学ぶ。なるほどあり得る話だ。


Ettore Jelmorini(1909-1968) [Szeemann-Deleuze]

「思考のプラットフォーム」で、《花束》が展示。ロダンのすぐ右隣。

Ettore Jelmorini - sculture
http://www.sculture.ch/iprincipale.html


思考のプラットフォーム [Szeemann-Deleuze]

第49回ヴェネツィア・ビエンナーレの「思考のプラットフォーム」の展示風景写真。
”Peter Wanjau"のGoogle検索結果から。

The Platform of Thought, 49th Venice Biennial, 2001
http://www.universes-in-universe.de/car/venezia/bien49/plat2/e-thought.htm

写真3点あり。うち2点は拡大可。


68年の思想 [Szeemann-Deleuze]

絓秀実『革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論』(作品社、2003年5月)を読み始めた。

冒頭から鍵括弧で括られて登場する「六八年の思想」。この表現は、日本以外、フランスやヨーロッパや合衆国でも使用されているのか。気になる。先ずは、いつものようにGoogleで検索してみた。

リュック・フェリー『68年の思想―現代の反-人間主義への批判』、小野潮訳(法政大学出版局、1998年)
リュック・フェリー、アラン・ルノー『68年-86年 個人の道程』、小野潮訳(法政大学出版局、2001年)

絓秀実編『1968年』(作品社、2005年1月)
絓秀実『LEFT ALONE―持続するニューレフトの「68年革命」』(明石書店、2005年2月)

日仏会館 Maison Franco-Japonaise
日仏シンポジウム「日仏戦後60年の社会変容 1968年と1989年で何がどう変ったか?」(2003年6月21, 22日)
http://www.mfjtokyo.or.jp/event/00151/detail.html

映画『LEFT ALONE』とは? 【明石書店】
http://www.akashi.co.jp/menue/books/2045/eiga.htm

LEFT ALONE 2
http://www.leftalone.biz/story2.html


『千のプラトー』と六八年五月革命 [Szeemann-Deleuze]

あまりにも明示的な線だった、ということだろうか。
ディディエ・エリボンが1994年に行ったというインタヴューには、これら2つが相前後して語られている。

ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」、『批評空間』第Ⅱ期第九号、一九九六年、九―一〇頁。


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