サンティアゴ調査(3)視覚美術館、現代美術館MAC(キンタ・ノルマル)ほか [Biennale]
昨日は、良くも悪くもサンティアゴをたくさん歩いた一日でした。
前日の続きで、最初はフォレスタル公園のMACへ出掛けましたが、10時過ぎに着いても開館はまだのようでした。あとで調べてわかった開館時間は11時。
きちんと確認して出掛けなかった自分のミスですが、ホテルのお掃除も9時半くらいから部屋の外で物音をさせていたので、適当な時間だろう、と適当に出て来てしまったのでした。
視覚美術館が近いので、先にそちらへ。一旦中には入れましたが、ここでも係の人から開館時間はまだだよ、と。10時半の開館にあと10分くらいだったので、のんびり外で待ちました。
館の入口に変な顔の描かれたコンクリートが置いてあるな、と前日に来たときも思っていましたが、待っている間に、スペイン語で書かれた説明をよくわからないながらも読んでみると、ベルリンの壁崩壊20周年記念に、その一部が運ばれてきて展示されていることがわかりました。
縦長に切り取られた壁の一部には、中央に大きな口を開けた龍のようなものが描かれていて、口の中に落書き特有の踊った字体で「THINK GLOBAL」と記されています。「年記」も書かれていて、少しかすれて3番目の数字は「9」なのか「1」なのか判別しづらいですが、「1990」と読める気がします。壁の崩壊以降に描かれたもののように思われました。
さて、視覚美術館の企画展名は「アイウィン―陰のイメージ(Aiwin: la imagen de la sombra)」。
企画趣旨に拠れば、「アイウィン」は写真家集団の名前のようです。アンドレア・ホシュ(Andrea Josch)とクラウディア・アステーテ (Claudia Astete)が中心作家で、編集とプロモーションにベネズエラの作家ネルソン・ガリド(Nelson Garrido)が参加し、「土着性についての問題意識(cuestión indígena)」について活動を展開しているようです。
Trienal de Chile/Aiwin: la imagen de la sombra
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/aiwin-la-imagen-de-la-sombra/
展示内容は、マプチェ(mapuche)と呼ばれる言語を持ち、チリやアルゼンチンにまたがって生活している人々の現代の様子を記録したもので、伝統文化を感じさせるものから、現代風の子どもたちの様子まで「特別視」や過度の強調を加えることなく、数で見せている様子でした。しかし、展示室の最初に、1900年に撮影された、マプチェの古老が足かせをはめられている写真が掲げられており、強烈な批評意識を喚起させてもいました。
この展示については独立して図録が刊行されていたので、入手できました。
考えてみれば、この視覚美術館の2階は考古学博物館になっていて、スペイン人が入植する以前の文化を保存研究している文化施設でもあるわけですから、インディジェネスな(私はちょうど今、この欧米語を「地産」と訳す可能性について考え続けています)問題意識の展覧会は、とてもぴったりだ、ということに、ここまで書いてきて思い至りました。
知識と情報とが頭の中でビビッと繋がる瞬間でした。
11時過ぎに視覚美術館を後にして、旧市街の中心部、モネダ宮殿へ。
ピノチェトによるクーデターの際に当時のアジェンデ大統領が立てこもり、空爆によって炎上する中自害した、とガイドブックでも伝えられる観光名所ですが、この建物前の広場の地下の文化センターがあって、そこも会場のひとつになっていました。
「ちりぢり(Chile C"hile)草」さんの2006年2月3日のエントリーに拠れば、この広場と施設は「チリ建国200周年記念(2010年)大事業の一環として先月完成した」、とありますから、今から3年前に出来たと思われます。
ちりぢり草/モネダ宮殿文化センター
http://blog.livedoor.jp/lautaro/archives/50373841.html
今回、チリの歴史についてガイドブックで少し読んで、2006年3月のヘリア大統領就任以来、「経済回復と国際化」が旗印になっていること、1989年の軍事政権転覆からの日が「浅い」ことなどを知りました。現代美術史の観点から見たら、ちょうど中国や韓国に似て、欧米型現代美術市場への積極参入期と言えると思います。トリエンナーレ新設の背景をかいま見た気がしました。
ところでこのモネダ宮殿文化センター(Centro Cultural Palacio La Moneda)での企画展は、会期10/6-11/15で既に終了していました。
この日は、国立美術館で入手したトリエンナーレの小パンフの地図を片手に会場巡りをしていましたが、そこに記載されいた、近くのボルサ・デ・コメルチオ(Bolsa de Comercio)でのイベントも10月7日と8日のみの開催で、いくらその周辺を探してみてもトリエンナーレのバナーは見あたらないわけでした。
「良くも悪くもサンティアゴをたくさん歩いた一日」となった訳は、私の準備不足とこの地図の情報の不完全性によるものでした。
ボルサ・デ・コメルチオは、地図上は、バンデラ(Bndera)通りとオー・ヒギンズ(O'Higgins)大通りとが交わる角に記載されていますが、実際はやや北寄りで、視覚美術館のある街の西側から向かって一本手前のネウバ・ヨーク(Neuva York)通りから辿っていった方が簡単に見つかります。実際私は、バンデラ通り周辺をしばらくうろついた挙句見つからず、諦めて、先にモネダ宮殿文化センターへ向かい、同センターの受付で聞いて場所を確認できました。
しかしこの段階ではまだボルサ・デ・コメルチオのイベントが、開幕時限定のものであることが、「多分そのようなものだろう」くらいの判断で、確証が得られていませんでした。
地図には会期が記載されていません。視覚美術館で配布されていたショートガイドのより詳しい情報と対照させることを思いついたのは、キンタ・ノルマル公園の現代美術館MACに到着して、展示室の椅子に腰を下ろし、一息つくことができたときでした。
実はMACの手前にも同じように開幕時限定のイベント会場となったビクトル・ハラ競技場(Estadio Victor Jara)があると地図には記載されていましたが、この場所も周辺を少し歩き回って見つからないので、再び「多分終わっているな」と判断して先を急いだのでした。
MACで行った会期確認によって、すでに終了していて今回の調査では見られないものは、今挙げたボルサ・デ・コメルチオとビクトル・ハラ競技場で行われたチリの作家ロッティ・ローゼンフェルド(Lotty Roenfeld)のパフォーマンス《チリの競技場I, II(Estadio Chile I/II)》(2箇所とも10/7, 8の同日)と、モネダ宮殿文化センターで開催された3つの企画展「不服従な空間―1970年代チリの言葉とイメージ(El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70')」、「多様な見え方―泥の美術館(Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro)」(以上2つは10/6-11/15)、「映画とヴィデオ・アートの世紀(Ciclo de Cine y Video-Arte)」(10/8-16)であることがわかりました。
El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70'
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/el-espacio-insumiso/
Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/una-mirada-multiple-el-museo-del-barro/
見逃した企画展はいずれも「地産美術」の考察に関連が深そうな様子で残念ですが、イスタンブールの会期の方が先に終了する都合や、9月中には日本を離れにくかった事情などから仕方がありません。
MACの展示は、チリの若手作家を中心とした現代美術展で、見応えがありました。
特に印象に残った作家は、会場1階の左手の部屋で展示を行っていた、ニコラス・フランコ・グズマン(Nicolás Franco Guzmán)です。鉄パイプを組んで、巨大な照明灯を4つ点灯していました。天井の高い部屋全体が強烈な明るさになっていて、最初はそれだけの作品かと思っていましたが、2階に上がる途中で、建物内のステインドグラスが輝いている様子を見て、先の照明によって裏から照らされいることを理解しました。そもそもなぜ採光のそれほどよくない建物内にステインドグラスが設置されているのかということ自体が疑問ですが、グズマンの試みはそうした疑問を、現状をより美しく見せることによって喚起している点で秀逸と思われました。
MACの企画展名は「チリの地震(El Terremoto de Chile)」。
「地震」は、チリ美術界の「地殻変動」を象徴させたネーミングだと思われます。
会場は、MACのほかに同美術館の同じ通り沿いにあるマトゥカナ100(Matucana100)という複合文化施設と、その道路向かいにあるサンティアゴ図書館にも展開されていました。
マトゥカナ100の企画は、フェルナンド・プラッツ(Fernando Prats)の個展で、「チリの地震絵画(Sismogafía de Chile)」と題されたシリーズは、火山噴火などを利用したドローイングでした。間欠泉の手前に紙を置いてその様子を記録するなど、ヴィデオと成果物の展示のほか、ときどきまさに「衝撃的な」噴火の音も会場内に鳴り響いて、面白い展示でした。
さて、サンティアゴ図書館前の広場に展示されているモニカ・ベンゴア(Mónica Bengoa)の作品を撮影し終えたのが17時過ぎ。
地図上は結構まだ距離がありそうでしたが、開館時間が19時までとあったので、アメリカ大衆美術館(MAPA: Museo de Arte Popular Americano)を探して、歩き始めました。
これもまた一苦労で、要するに地図に記されていた場所は全然検討違いの場所だったし、途中、近道のつもりで横切ろうとしたキンタ・ノルマル公園は塀で取り囲まれた公園で、結局公園内を半周することになって、すっかり森林浴を堪能したりで、相当、昼食抜きの体と足を酷使することになりました。
ヴェネツィアでもカッセルでも、展示の量と会場の広さが滞在時間を圧倒しているので、お昼抜きで歩き回ることには慣れていますし、こうして歩き回ること自体が、自分の体に街の記憶を刻みつけることだと思っているので、まさに「良くも悪くも」なのです。
そして、こうして各地を旅行していると、いつも旅行中に1日くらいは、何をやっても「空振り」の日があって、この日は、帰りに利用した地下鉄もホテル近くのベラス・アルテス駅を素通りしたり(心の中で「ドナドナ」を口ずさんでいました)、気を取り直してユニベルシダッド・カトリカ駅へ向かうためバケダノ駅で乗り換えしようとしても、一方通行が原則のサンティアゴの地下鉄構内で、まるでRPGのダンジョンを彷徨う主人公の気分になったり、ホテルで一息ついたあとも、目当てにしていたレストランが予約で満席で、ホテルを真ん中として南の満席だったレストランから北の遅くまでやってる日本料理店へと1キロ近い道のりを行ったり来たりで、確かに、次回は万歩計を携帯して旅行するのも一興かと思う一日でした。
『地球の歩き方』で紹介されていたベラス・アルテス駅近くの日本料理店「金太郎」。同書お薦めのラーメンは、湯麺を頼んでみましたが、野菜たっぷりあったかスープで、疲れ切った体をすっかり回復させてくれました。夜の一人歩きも、寂しそうな道さえ通らなければ大丈夫そうです。
1日目のカフェで食べたのがシーフード・パスタ。2日目の夕食はラーメン。ということで、チリ料理そのものには、まだありつけていません。今夜こそ、昨日のレストランに予約を入れて、「異」文化を「胃」で学ばせねば。

サンティアゴ西部を南北に走るアウトピスタ・セントラル道路から北に見えた山 2009年11月20日17時51分(曇り)
前日の続きで、最初はフォレスタル公園のMACへ出掛けましたが、10時過ぎに着いても開館はまだのようでした。あとで調べてわかった開館時間は11時。
きちんと確認して出掛けなかった自分のミスですが、ホテルのお掃除も9時半くらいから部屋の外で物音をさせていたので、適当な時間だろう、と適当に出て来てしまったのでした。
視覚美術館が近いので、先にそちらへ。一旦中には入れましたが、ここでも係の人から開館時間はまだだよ、と。10時半の開館にあと10分くらいだったので、のんびり外で待ちました。
館の入口に変な顔の描かれたコンクリートが置いてあるな、と前日に来たときも思っていましたが、待っている間に、スペイン語で書かれた説明をよくわからないながらも読んでみると、ベルリンの壁崩壊20周年記念に、その一部が運ばれてきて展示されていることがわかりました。
縦長に切り取られた壁の一部には、中央に大きな口を開けた龍のようなものが描かれていて、口の中に落書き特有の踊った字体で「THINK GLOBAL」と記されています。「年記」も書かれていて、少しかすれて3番目の数字は「9」なのか「1」なのか判別しづらいですが、「1990」と読める気がします。壁の崩壊以降に描かれたもののように思われました。
さて、視覚美術館の企画展名は「アイウィン―陰のイメージ(Aiwin: la imagen de la sombra)」。
企画趣旨に拠れば、「アイウィン」は写真家集団の名前のようです。アンドレア・ホシュ(Andrea Josch)とクラウディア・アステーテ (Claudia Astete)が中心作家で、編集とプロモーションにベネズエラの作家ネルソン・ガリド(Nelson Garrido)が参加し、「土着性についての問題意識(cuestión indígena)」について活動を展開しているようです。
Trienal de Chile/Aiwin: la imagen de la sombra
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/aiwin-la-imagen-de-la-sombra/
展示内容は、マプチェ(mapuche)と呼ばれる言語を持ち、チリやアルゼンチンにまたがって生活している人々の現代の様子を記録したもので、伝統文化を感じさせるものから、現代風の子どもたちの様子まで「特別視」や過度の強調を加えることなく、数で見せている様子でした。しかし、展示室の最初に、1900年に撮影された、マプチェの古老が足かせをはめられている写真が掲げられており、強烈な批評意識を喚起させてもいました。
この展示については独立して図録が刊行されていたので、入手できました。
考えてみれば、この視覚美術館の2階は考古学博物館になっていて、スペイン人が入植する以前の文化を保存研究している文化施設でもあるわけですから、インディジェネスな(私はちょうど今、この欧米語を「地産」と訳す可能性について考え続けています)問題意識の展覧会は、とてもぴったりだ、ということに、ここまで書いてきて思い至りました。
知識と情報とが頭の中でビビッと繋がる瞬間でした。
11時過ぎに視覚美術館を後にして、旧市街の中心部、モネダ宮殿へ。
ピノチェトによるクーデターの際に当時のアジェンデ大統領が立てこもり、空爆によって炎上する中自害した、とガイドブックでも伝えられる観光名所ですが、この建物前の広場の地下の文化センターがあって、そこも会場のひとつになっていました。
「ちりぢり(Chile C"hile)草」さんの2006年2月3日のエントリーに拠れば、この広場と施設は「チリ建国200周年記念(2010年)大事業の一環として先月完成した」、とありますから、今から3年前に出来たと思われます。
ちりぢり草/モネダ宮殿文化センター
http://blog.livedoor.jp/lautaro/archives/50373841.html
今回、チリの歴史についてガイドブックで少し読んで、2006年3月のヘリア大統領就任以来、「経済回復と国際化」が旗印になっていること、1989年の軍事政権転覆からの日が「浅い」ことなどを知りました。現代美術史の観点から見たら、ちょうど中国や韓国に似て、欧米型現代美術市場への積極参入期と言えると思います。トリエンナーレ新設の背景をかいま見た気がしました。
ところでこのモネダ宮殿文化センター(Centro Cultural Palacio La Moneda)での企画展は、会期10/6-11/15で既に終了していました。
この日は、国立美術館で入手したトリエンナーレの小パンフの地図を片手に会場巡りをしていましたが、そこに記載されいた、近くのボルサ・デ・コメルチオ(Bolsa de Comercio)でのイベントも10月7日と8日のみの開催で、いくらその周辺を探してみてもトリエンナーレのバナーは見あたらないわけでした。
「良くも悪くもサンティアゴをたくさん歩いた一日」となった訳は、私の準備不足とこの地図の情報の不完全性によるものでした。
ボルサ・デ・コメルチオは、地図上は、バンデラ(Bndera)通りとオー・ヒギンズ(O'Higgins)大通りとが交わる角に記載されていますが、実際はやや北寄りで、視覚美術館のある街の西側から向かって一本手前のネウバ・ヨーク(Neuva York)通りから辿っていった方が簡単に見つかります。実際私は、バンデラ通り周辺をしばらくうろついた挙句見つからず、諦めて、先にモネダ宮殿文化センターへ向かい、同センターの受付で聞いて場所を確認できました。
しかしこの段階ではまだボルサ・デ・コメルチオのイベントが、開幕時限定のものであることが、「多分そのようなものだろう」くらいの判断で、確証が得られていませんでした。
地図には会期が記載されていません。視覚美術館で配布されていたショートガイドのより詳しい情報と対照させることを思いついたのは、キンタ・ノルマル公園の現代美術館MACに到着して、展示室の椅子に腰を下ろし、一息つくことができたときでした。
実はMACの手前にも同じように開幕時限定のイベント会場となったビクトル・ハラ競技場(Estadio Victor Jara)があると地図には記載されていましたが、この場所も周辺を少し歩き回って見つからないので、再び「多分終わっているな」と判断して先を急いだのでした。
MACで行った会期確認によって、すでに終了していて今回の調査では見られないものは、今挙げたボルサ・デ・コメルチオとビクトル・ハラ競技場で行われたチリの作家ロッティ・ローゼンフェルド(Lotty Roenfeld)のパフォーマンス《チリの競技場I, II(Estadio Chile I/II)》(2箇所とも10/7, 8の同日)と、モネダ宮殿文化センターで開催された3つの企画展「不服従な空間―1970年代チリの言葉とイメージ(El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70')」、「多様な見え方―泥の美術館(Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro)」(以上2つは10/6-11/15)、「映画とヴィデオ・アートの世紀(Ciclo de Cine y Video-Arte)」(10/8-16)であることがわかりました。
El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70'
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/el-espacio-insumiso/
Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/una-mirada-multiple-el-museo-del-barro/
見逃した企画展はいずれも「地産美術」の考察に関連が深そうな様子で残念ですが、イスタンブールの会期の方が先に終了する都合や、9月中には日本を離れにくかった事情などから仕方がありません。
MACの展示は、チリの若手作家を中心とした現代美術展で、見応えがありました。
特に印象に残った作家は、会場1階の左手の部屋で展示を行っていた、ニコラス・フランコ・グズマン(Nicolás Franco Guzmán)です。鉄パイプを組んで、巨大な照明灯を4つ点灯していました。天井の高い部屋全体が強烈な明るさになっていて、最初はそれだけの作品かと思っていましたが、2階に上がる途中で、建物内のステインドグラスが輝いている様子を見て、先の照明によって裏から照らされいることを理解しました。そもそもなぜ採光のそれほどよくない建物内にステインドグラスが設置されているのかということ自体が疑問ですが、グズマンの試みはそうした疑問を、現状をより美しく見せることによって喚起している点で秀逸と思われました。
MACの企画展名は「チリの地震(El Terremoto de Chile)」。
「地震」は、チリ美術界の「地殻変動」を象徴させたネーミングだと思われます。
会場は、MACのほかに同美術館の同じ通り沿いにあるマトゥカナ100(Matucana100)という複合文化施設と、その道路向かいにあるサンティアゴ図書館にも展開されていました。
マトゥカナ100の企画は、フェルナンド・プラッツ(Fernando Prats)の個展で、「チリの地震絵画(Sismogafía de Chile)」と題されたシリーズは、火山噴火などを利用したドローイングでした。間欠泉の手前に紙を置いてその様子を記録するなど、ヴィデオと成果物の展示のほか、ときどきまさに「衝撃的な」噴火の音も会場内に鳴り響いて、面白い展示でした。
さて、サンティアゴ図書館前の広場に展示されているモニカ・ベンゴア(Mónica Bengoa)の作品を撮影し終えたのが17時過ぎ。
地図上は結構まだ距離がありそうでしたが、開館時間が19時までとあったので、アメリカ大衆美術館(MAPA: Museo de Arte Popular Americano)を探して、歩き始めました。
これもまた一苦労で、要するに地図に記されていた場所は全然検討違いの場所だったし、途中、近道のつもりで横切ろうとしたキンタ・ノルマル公園は塀で取り囲まれた公園で、結局公園内を半周することになって、すっかり森林浴を堪能したりで、相当、昼食抜きの体と足を酷使することになりました。
ヴェネツィアでもカッセルでも、展示の量と会場の広さが滞在時間を圧倒しているので、お昼抜きで歩き回ることには慣れていますし、こうして歩き回ること自体が、自分の体に街の記憶を刻みつけることだと思っているので、まさに「良くも悪くも」なのです。
そして、こうして各地を旅行していると、いつも旅行中に1日くらいは、何をやっても「空振り」の日があって、この日は、帰りに利用した地下鉄もホテル近くのベラス・アルテス駅を素通りしたり(心の中で「ドナドナ」を口ずさんでいました)、気を取り直してユニベルシダッド・カトリカ駅へ向かうためバケダノ駅で乗り換えしようとしても、一方通行が原則のサンティアゴの地下鉄構内で、まるでRPGのダンジョンを彷徨う主人公の気分になったり、ホテルで一息ついたあとも、目当てにしていたレストランが予約で満席で、ホテルを真ん中として南の満席だったレストランから北の遅くまでやってる日本料理店へと1キロ近い道のりを行ったり来たりで、確かに、次回は万歩計を携帯して旅行するのも一興かと思う一日でした。
『地球の歩き方』で紹介されていたベラス・アルテス駅近くの日本料理店「金太郎」。同書お薦めのラーメンは、湯麺を頼んでみましたが、野菜たっぷりあったかスープで、疲れ切った体をすっかり回復させてくれました。夜の一人歩きも、寂しそうな道さえ通らなければ大丈夫そうです。
1日目のカフェで食べたのがシーフード・パスタ。2日目の夕食はラーメン。ということで、チリ料理そのものには、まだありつけていません。今夜こそ、昨日のレストランに予約を入れて、「異」文化を「胃」で学ばせねば。
サンティアゴ西部を南北に走るアウトピスタ・セントラル道路から北に見えた山 2009年11月20日17時51分(曇り)
2009-11-21 10:48
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