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雑誌『ブロードシート』第35巻第3号 [Biennale]

シンガポール・ビエンナーレのプレス資料の中に入っていたのが、「FREE」と印字されているこの美術雑誌。
『Contemporary Visual Arts+Culture: Broadsheet』(vol.35, no.3: Singapole Biennale 2006 issue)

もう35巻だというから、結構長い歴史のある雑誌なのだろう。一年ごとに巻を重ねているとして、シンガポールの独立が1965年だから、それと6年くらいしか違わない計算になる。

さて、同号の巻頭記事は南條史生氏へのインタヴュー(p.136-39.)。続く「期待値に目盛をつける(Calibrated Expectations)」は、ビエンナーレを取り巻く批評的論点のあぶり出し。この2つの記事を読んだ感想などをメモ書きしておきたい。

南條氏へのインタヴュー記事で印象に残ったのは、『アート・イット』に掲載されたインタヴュー記事でも言っているし、光州ビエンナーレのオープン・フォーラムでも同様の発言を繰り返し聞いたけれど、やはりそれだけ今の時代情勢に照らして強調されていると思われる「ビエンナーレは開催国の人々のためのもの」という発言。より完全なかたちで引用すれば、「ビエンナーレは、世界各地での開催を追いまわしている国際的なアートの専門家たちのためのものではない、ということを以前お話しました。これらの大規模展は、現実にそして第一にその地域に住む人々のためのものなのです。こうした人々はヴェネツィア・ビエンナーレに行ったこともなければ、ドクメンタを見たこともありません。これらの展覧会を比較する機会さえ、これまで持っていなかったような人々のためのものなのです。」(原文:英語、訳:藤川)(p.137)
つまり、国際美術展が同質化しているという意味での「ビエンナリゼーション」に対する批判を踏まえたものだ。
そして、インタヴュアーの質問文の中からも興味深い視点を提供する言葉を見つけた。「ビエンナーレ・ショッピング」。キュレーターの仕事について「カタログ・ショッピング」という言葉が、批判的に使用されているのをこれまでに耳にしたことがある。そしてその延長線上にこのビエンナーレ・ショッピングも考えられるだろう。ある学芸員から聞いたことがあるが、レセプションに行けば、各地域からのアーティストが一堂に集まっているし、そこで次の展覧会への出品の話をまとめてしまえば、非常に話は早いのである。効率的だ。しかし、その効率化の裏側で、それぞれのアーティストが制作している背景を知る機会は失われる。プロ意識が賭け金になっている、と私は思う。また機会があれば、もう少し突っ込んだ議論をしたい。
さらに、複数の会場を結ぶ全体構成についての解説も有益な情報だった。特に寺院や教会のみならず、図書館や博物館、軍施設も別の意味での「信念/信仰」に結びついたサイトだ、という解釈が。
個人的に響いたのが、記事の結びにもなっている、南條氏自身、「1976年のドクメンタ6を見て感銘を受けたことが、その後の進路を変えた」という発言。南條氏はその当時27歳くらい。現在、日本では10代や20代の人々が妻有や浜トリ、あるいはアジ美のトリエンナーレを見ている。ちなみに私が初めて見た国際美術展は、1993年のヴェネツィア・ビエンナーレで、25歳の時。90年代はバブルもあって、海外旅行自体が珍しくなくなり始めた頃。1970年代に20代で国際美術展を見て、感銘を受けた日本人、というのはやはり当時ごくごく少数の存在だったと思われる。翻って現在の日本の若い人たちや、この度のシンガポールの人々のことを思うと、隔世の感がして、勝手に頬が紅潮するのに気づいた、という次第。

「期待値に目盛をつける(Calibrated Expectations)」の方では、まずビエンナーレ開催が、美術館建設のオルタナティヴである、という視点。これには私は別意見で、美術館、美術市場、美術ジャーナリズム等に加えて、国際美術展が必要で、それらはすべて揃って意味のある「三種の神器」のようなものなので、美術館を建てる代わりに、ビエンナーレを開催すればよい、というものではないと考えているが、そういう言説があること自体は面白い。
さらに、1974年当時、「ソウル・ビエンナーレ」の開催が企画されていた、ということ。文脈から判断して、実現しなかったようだが。この意志は、日本の「東京ビエンナーレ」(1970)と並べて話題にされている。
個人的に最も重要な示唆は、Joan Kee氏による、近年のビエンナーレ・テーマの傾向分析。なぜ、自力でこれができなかったのか、と読んでいて悔しく思ったくらい。内容の詳細については、また別に。
最後に、Lee Weng Choy氏の「私たちは長距離を移動するようになったが、その移動に見合うコストを十分に払いきれないでいる」という、いらだちの表明も大いに共感を誘う。
そう、そして、不平を言っていないで、そのコストをきっちり払おうじゃないか、という気概に燃える。


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