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ブリスベン調査(3)シンポジウム [Biennale]

昨日は10時から16時半までGoMAのシアターAで開催されたシンポジウムを聴いていました。

12/2までに公式サイトから予約を入れるか、当日朝9時から空席状況に応じて券を購入するシステムでした。
私は、こちらで入手したショートガイドを見てシンポジウムの開催を知ったので、朝一番にGoMAの入口に並びました。
ネットで予約を入れても、当日券を買っても料金はA$80。
ちょっと高い気がしましたが、料金を払ったあと、手渡された紙袋の中に展覧会図録が入っているのを見て、図録代込みと思えば、納得もできました。
シンポジウム終了後、ミュージアムショップで図録の値段を確認すると、A$45でした。半分以上図録代のようなものです。

シンポジウムは、午前中に3名の講演、午後は討論会が最初と最後に1つずつ、あとはホ・ツ・ニェンによる講演と、apt6にカンボジアから参加している4名の美術家の紹介レクチャーでした。

以下にスケジュールを書いておきます。
10:00~ 開会あいさつ トニー・エルウッド(Tony Ellwood, QAG director
10:15~ 基調講演「利用可能性の制度美術(The institutional art of availability)」 ロス・ギブソン(Ross Gibson, Professor, University of Sydney)
    「夢の生産者たち―マンスデ美術工房への制作依頼の背景(Dream makers: The Mansudae Art Studio commissions in context)」 スハニア・ラフェル(Suhanya Raffel, QAG curator)
11:00~ 講演 ティム・ペイジ(Tim Page, photojournalist)
11:30~ 休憩
12:30~ 討論「日常」 司会:モード・パイジ(Maud Page, QAG curator)、パネリスト:マルセル・メルテロロング(Marcel Meltherorong)、ブレント・クロー(Brent Clough, writer)、ルーベン・パターソン(Reuben Paterson, New Zealand)、キャンベル・パターソン(Campbell Patterson, UK/New Zealand)
13:30~ 講演 ホ・ツ・ニェン(Ho Tzu Nyen, Singapore)
14:30~ 休憩
14:45~ 講演「過去の現前―カンボジア現代美術(The presence of the past: Contemprary art from Cambodia)」 エリン・グリーソン(Erin Gleeson, curator)
15:15~ 討論「APTの過去と現在(APT past and present)」 司会:ラッセル・ストーラー(Russell Storer, QAG curator)、パネリスト:ロビン・ホワイト(Robin White, New Zealand)、ダダン・クリスタント(Dadang Christanto, Indonesia)、アルフレド&イサベル・アキリサン(Alfred and Isabel Aquilizan, The Philippines/Australia)、ミナム・アパン(Minam Apang, India)

それぞれからいろいろと得られるものがありましたが、特に2人目の講演者による北朝鮮作品の紹介と、太平洋のレゲェと美術について「日常」をキーワードに議論した1つ目の討論、最後から2番目のカンボジア現代美術の紹介が内容的に充実していました。

ロス・ギブソンの「利用可能性の制度美術」は、抽象的な話で今ひとつつかみ所のない感じでしたが、要するに、atpのような大型の現代美術展は、情報システムとして見た場合、事前には予測不可能なものが結集される場である、というようなことを論じているようでした。
午前中の講演のあと、参加者は4階のテラスに案内されて、そこで飲み物とサンドウィッチを用意されていましたが、それらを食べながらつらつらと考えてみたところ、結局それは、私たちが普段テレビで見るニュース番組と同じであるということが言える気がしてきました。
2年おきか3年おきか、あるいは毎日、しかも朝、昼、晩といった一定の間隔を持つ周期性、継続的なものよりも変化の相に焦点を当てている点、そして企画者/編集者側があらかじめ設定している方向付けも含めて、国際美術展とニュース番組の相似性は大きいと言えます。
ニュース番組や新聞のようなものと考えてみれば、コアな美術愛好家たちからつねに「新味のなさ」を批判もされる現象にも既視感を覚えます。
そして、各地域で独自の国際美術展が立ち上げられ、歴史研究の視点から見た際に、その基盤としての重要性を感じるのにも合点がいくように思いました。

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討論「日常」のパネリストたち 後ろに投影されているのはルーベン・パターソン《ワカパパ(Whakapapa)》 2009年12月6日13時12分(外は晴れ)

ブリスベン調査(2)開会式、アーティスト・トーク、討論会 [Biennale]

美術館の開館時間は9時から17時。
昨日は、19時半からGoMAを再び開館し、太平洋のレゲェを紹介するコンサートが22時まで行われましたが、睡眠不足だったのでそちらは遠慮してホテルで休養しました。

太平洋のレゲェは、同館でインディジェネス・アートを担当しているキュレーター一押しの企画でもあるようで、彼女のギャラリー・トークの中でも「普段、西洋文明にばかり意識を向けている私たちが、太平洋で何が起きているかをいかに知らないかということのいい例だ」と力説していました。
展覧会では、GoMAの2階に一室が設けられ、映像で紹介されています。


9時過ぎに会場入りして、GoMA3階の続きから見始めました。
美術館の入口では、当日のイベント一覧の最新版が配られていました。
A5サイズのショート・ガイドにも、開幕時の週末イベントの一覧ページがあります。11時半から予定されていたローアン・ウィアリーンズ(Rohan Wealleans)のパフォーマンスとトークが中止になったのが変更点のようです。

10時の開幕式からほぼ30分おきに、GoMAかQAG(クイーンズランド美術館)のどちらか、あるいは両方でアーティスト・トークや討論会が行われました。
来館者の多い1時半からは、GoMA1階と3階、QAGのウォーターモールでそれぞれアーティスト・トーク、GoMAのシアターAでは討論会が開催される、といった具合です。
GoMAとQAGは、市内中心部を流れるブリスベン川沿いの同じ文化施設区域(1988年開催の万博会場の跡地)にあって、歩いて3分くらいの距離です。
全部は参加できないので、討論会を優先しつつ見て回りました。

アルファベットも並記するので見づらいですが、覚え書きとして、以下に見たイベントを挙げておきます。

9:30~ ツァイ・チャルウェイ(Charwei Tsai, Taiwan)のパフォーマンス(GoMA 1階)
10:00~ 開幕式(GoMA 1階ロング・ギャラリー)
10:30~ ウィット・ピムカンチャナポン(Wit Pimkanchanapong, Thailand)のトーク(GoMA前庭)
11:00~ キュレーターによるギャラリー・トーク(GoMA)
11:30~ ジテン・スクラル&スミール・タグラ(Jiten Thukral and Sumir Tagra, India)のトーク(GoMA 1階)
12:00~ アルフレド&イサベル・アキリサン(Alfred and Isabel Aquilizan, The Philippines/Australia)のトーク(QAG 1階)
12:30~ スボード・グプタ(Subodh Gupta, India)のトーク(GoMA 1階)
13:00~ シュシ・スライマン(Shooshie Sulaiman, Malaysia)のトーク(QAG 1階)
13:30~ 討論会「コラボレーション」(GoMA シアターA) 司会:ジュリー・エウィントン(Julie Ewington, curator)、アーティスト:アルフレド&イサベル・アキリサン/ロビン・ホワイト(Robin White, New Zealand)、バレ・ジオン(Bale Jione, Fiji)、レバ・トキ(Leba Toki, Fiji)/リー・ハスキングス、シャロン・グッドウィン&カイル・ウィルキンソン(Ry Haskings, Sharon Goodwin & Kylie Wilkinson, DAMP collective, Melbourne)
14:30~ 対談「ザ・メコン」(GoMA 3階) 司会:ラッセル・ストーラー(Russell Storer, curator)、アーティスト:マニット・スリワニチプーン(Manit Sriwanichpoom, Thailand)/トゥン・ウィン・アン&ワー・ヌ(Tun Win Aung and Wah Nu, Burma)/ブイ・コン・カーン(Bùi Công Khánh, Vietnam)/ソピアップ・ピッチ(Sopheap Pich, Cambodia)
15:00~ 討論会「アジア太平洋美術について書く」(GoMA シアターA) 司会:マイケル・フィッツジェラルド(Michael Fitzgerald, Art and Australia magazine)、パネラー:アンドリュー・マークル(Andrew Maerkle, writer, Tokyo)/小崎哲哉(ART iT magazine, Tokyo)/エンマ・バジェン(Emma Budgen, Artspace, Auckland)/アーロン・シート(Aaron Seeto, Gallery 4A, Sydney)

スボード・グプタが、「よく、あなたはインドの美術家ですか、とか、現代美術家ですか、とか、インスタレーションの作家ですか、などと聞かれるけど、私は単に美術家だ、と答えたい」と冒頭に語ったのが印象に残りました。

インディジェネス・アートも現代美術もアジアの美術も、それぞれ、単に「美術」と語れる日が来る、という考え方は正しいと思います。

また、討論会「アジア太平洋美術について書く」での会場からの質問で、「アジア太平洋美術という名の展覧会という割に、アジア美術の比重が大きく、太平洋美術の展示が非常に少ないと怒っていた観客がいた。この不均衡についてどう考えるか。」という指摘も、aptの来し方とこれからを考える上でとても重要であったように思いました。


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自作の前で語るスボード・グプタ 後のキノコ雲のような作品は《管理の線(1)(Line of Control(1))》 2009年12月5日12時40分(外は晴れ)

ブリスベン調査(1)内覧会、GoMA [Biennale]

明日から開幕の第6回アジア太平洋現代美術トライエニアルの調査で、今日から5日間、オーストラリアのブリスベンに滞在します。

わざわざ「オーストラリアの」をつけなければならないくらい、ブリスベンはちょっとだけマイナーかも知れません。
シドニー、メルボルンに次ぐ、同国3番目の大都市ですが、知名度がちょっと足りない感じは、同展を立ち上げた企画者たちが「ブリスベン・トライエニアル」と命名するのを躊躇したほど。
ちなみに、オーストラリアの首都はキャンベラです。

ブリスベンと日本との時差は1時間。今回直行便がとれず、シドニー経由で来ましたが、同地での時差は2時間でした。サマータイムなのでしょうか。
シドニーに到着して、時計の針を2時間進め、ブリスベンに着いて1時間戻しました。

預けていた荷物がシドニーからブリスベンに積み替えされていなかった、というトラブルがあって、冬用のニットを着たまま、真夏の街へ。

地図を見ると、クイーンズランド美術館別館の現代美術館(GoMA)のすぐ脇に、前回2007年春に訪れたときにはなかった橋が新設されていました。
クリルパ橋(Kurilpa Bridge)。このちょっと耳慣れない名称は、アボリジニの言葉に由来しているようです。
橋の入り口に、この辺り一帯が「クリルのドリーミングの跡として重要な土地」であるという説明もありました。

クイーンズランド美術館の別館は、2006-07年に開催された第5回展の際に開館しましたが、その際、会場で配られていたフリーペーパーに、こうした施設の建設そのものが、アボリジニにとって歴史的・文化的に重要な土地の接収である、という批判がありました。

クリルパ橋の建設と命名、さらにその解説は、「入植者」側による、さらなる文化的圧力のように感じられました。


GoMAの吹き抜けの空間には奈良美智さんの作品が、1階右手の部屋には名和晃平さんの《PixCell-Elk#2》が、2階のメディア・ギャラリーでは、さわひらきさんの作品が展示されていました。
名和さんの「鹿」は、今年の6-9月に銀座エルメスの8階に展示されていたものだと思いますが、展示室全体を白色光で満たしていて、またひと味違った見え方をしていました。周りを覆う透明な球体に映り込んだ鑑賞者の姿が、背景から切り離されて、より完全に球の中に閉じこめられているように見えていましたし、より人工的な空間に置かれている感じがして、ちょうどブランド・ブティックの商品のようでした。美術館ではブランドの商品のように見え、自然光の入るエルメスの展示室では、アートっぽく見えるという逆転現象は、面白いと思います。

3階ではジュン・グエン=ハツシバさんの《グラウンド、ルーツ、エアー:菩提樹を通り過ぎながら》も見ることができました。ミヅマ・アート・ギャラリーの個展で2007年に発表された作品ですが、私は今回が初見。風景を写生している若者を乗せた何艘もの舟が、群れをなして疾走している映像は、見応えがありました。

GoMAだけでもかなりの作品数で、同じく3階の大巻伸嗣さんの部屋までは時間がなくてたどり着けませんでした。本館のクイーンズランド美術館の展示もまだです。

明日はGoMAの続きから見ようと思います。

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apt6と大きく表示された現代美術館(aptはアジア・パシフィック・トライエニアルの略称) 2009年12月4日13時41分(晴れ)

サンティアゴ調査(7)移動日/星と雷、ダラスの拍手 [Diary]

再び、サンティアゴ→ダラス→成田福岡の順で飛行機を乗り継いで、帰国。

山口に戻る電車が終わっているので、博多に1泊しています。

成田―博多間の飛行機は6,000円の追加で付けられると旅行会社に聞いて、新幹線や羽田―宇部間の飛行機より安いか、と思って今回そのようにしてみたのだけれど、飛行機代+宿泊費+博多―山口間の新幹線代を合算するとどうだったのだろうか、という疑問が頭をもたげる。

ちなみに、成田到着が16時半(先日、ダラスの出発時刻と間違えたやつね)。
東京発で新山口に停車するのぞみの最終が18時10分発だから、これは無理。
飛行機も羽田発ANAの最終便が18時50分、JALはもっと早くて16時55分発が最終だから、やっぱり無理でした。

南米行きのアメリカン航空は成田発着なので、「関空利用」の場合でも関空←→成田を飛ぶ模様。山口から関空まで行く労力を考えると、やはり今回みたいに福岡発着が最良の選択肢だったか、と。

最近、海外から日本に帰って最初に食べる和食は、お蕎麦。
今日も福岡行きの便に乗る前にざる蕎麦を食べました。
一通りすすり終わって、「そば湯」を胃の中に流し込むと、全身が癒される感じです。

今は寝る前にあつあつの焼き鳥が食べたい気分。


ところで、サンティアゴ―ダラス間の飛行機内で、とても素敵な景色を見ることができました。
これも写真にはうまく撮れませんが、窓の外、翼の上には満天の星。そして、その下では積乱雲がびかびかと光っていました。

「飛行機は落雷を受けても平気」と、テレビで得た知識があったので、落ち着いて「鑑賞する気分」になれました。
しかしまた、光る雲の形が、爆撃の情景を思わせて100パーセント美しいとは思えなかったことも確かです。


そして、ダラス空港で昨日の分のエントリーを書いている間、日本に居てはなかなかお目にかからないであろう光景も目撃しました。

突然、空港内に大きな拍手の渦と大歓声。大道芸か何かが始まったのかと、最初、荷物やPCからあまり離れたくもなかったので、構わず文章をタイプしていましたが、そのうちに、拍手は歯切れ良くなり、ちょうどアンコールのように揃ってきて、鳴りやまない。一瞬なら、と思いPCの前を離れて、拍手をしている人々の集まっている場所へ行くと、皆、帰還兵をねぎらっていたのでした。

私は、米国の中東戦略に反対ですし、日本をはじめ、それを支援してきた国々の政策にも反対です。
かつて、2003年の「No War, No Image」というプロジェクトに、ジャスパー・ジョーンズの《3つの旗》を「今、戦争について考えさせられる作品」として挙げたこともあります。
http://www.a-i-t.net/2006/news/004/war.html

しかしまた、「米国の政策」を離れて、一人一人のアメリカ人と接してみるならば、皆、おおらかでとても素敵な人々である、とも思います。

そしてダラス空港で、人々の、本当に心からの「温かい拍手」が帰還兵たちに送られている場に居合わせて、正直胸を打たれました。それはおそらく、命を賭して「自分たちの国」を守り支えている者たちへの、尊敬の念とねぎらいの気持ちのこもった拍手ではなかったかと思います。そうした人々の「まっとうな思い」が合衆国を構成しているという認識が、それまでの私の米国観を大きく揺さぶりました。
こうして得られた米国観と、イラク戦で失われた多くの「双方の」命のことを突き合わせて、今後も考え続けていきたい、と思いました。

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フロリダ湾上空で見た積乱雲 その上は満天の星だった 2009年11月24日4時42分(シカゴ時帯)

サンティアゴ調査(6)文化美術コンセイエほか(バルパライソ) [Biennale]

行ってきました2度目のバルパライソ。

10時45分発のバスに乗って、12時40分頃到着。23時の飛行機なので2時間前の21時にチェックインが必要。荷物を預けたホテルから空港までの時間を、夕方のラッシュがあるかも知れないので、大目に見積って2時間として、さらに保険をかけるつもりで1時間早めにして、18時ホテル戻りを目指して、15時台のバルパライソ発のバス乗車を目標に行動しました。文字通り最後は街の中を走り回ることになりましたが、文化美術コンセイエほか3ヵ所を十分しっかり見学できました。往復約4時間、滞在時間約3時間半。

到着した日に、空港からタクシーを使いましたが、帰りは地下鉄と空港バスを利用するつもりでした。その分、空港と市内間がどれくらい時間がかかるのかが、うまく見積もれていませんでした。
実際は、地下鉄のロス・エロス駅から地上に出ると、空港バス出発所はすぐみつかって、ちょうどバス停に到着したときに18時半のバスが出るのを見送って、次のバスに乗り込むと10分後の18時40分にはそのバスが出発。空港には19時20分に到着していました。
タクシーでもバスでも40分くらい、と言えそうです。

まずは、家族や知人にお土産を買って、いつものようにお昼を抜いていたので、それからゆっくり食事をとることができました。

バルパライソは、コンセイエ以外の会場は、資料展示を中心としていました。ショートガイドを読むと(スペイン語なので、わかる単語を中心とした拾い読みですが)、展覧会企画者の「挑戦」として、敢えてそうしているようです。

Trienal de Chile/Arte/Latinoamérica: Estados de Sitio
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/arte-latinoamerica-estados-de-sitio/

コンセイエは、前回「相談所」と訳してみましたが、行ってみると(予想通り)かなり印象が違いました。建物の感じからすると「センター」と訳す方がぴったりです。しかし原語としては異なる名称を、わざわざ英語のカタカナ化するのもちょっと強引かな、と思うのでコンセイエをそのまま使うことにします。

コンセイエでは、メキシコの作家フランシス・アリス(Francis Alÿs)のヴィデオ作品がちょっと面白かったです。子どものおもちゃによくあるような、子犬くらいの大きさの車つきの物体を紐で引っ張って、夜中の街を延々と歩いている様子を収めた映像でした。

スクリーン脇のケース内には、作家お手製の引き車も展示されていました。

資料展示は、さまざまなメモやポスター、雑誌のコピー、写真の拡大パネルなどから成り立っていました。
60-80年代の前衛グループの活動を紹介する展示としては理に適っていると思いました。とくに「NO+」のようなグループは、概念派で、物体としての作品制作活動そのものを否定していたようですから。

しかし、数年おきに開催する「トリエンナーレ」としては、単純に「作品が足りない」ことを逆手にとっているのだろうか、この先大丈夫なのだろうか、といった懸念も湧きました。

さて、3年後はどうなるのでしょう。
そしてまた、今回の他の会場はどうだったのでしょう。

帰国後、海外の美術雑誌レビューなどを探してみようと思います。

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資料展示が中心だったバルパライソ会場の様子 2009年11月23日14時58分(外は晴れ)

サンティアゴ調査(5)コクラン卿航海博物館、ラ・セバスティアーナ、青空美術館(バルパライソ) [Biennale]

日曜日の朝。ホテルの朝食も8時から。地下鉄も8時までシャッターが降りていました。
バルパライソまでバスで2時間。
10時開館の情報を得て、それまでに到着したいと思っていた私は、朝食は諦めて地下鉄の駅に7時過ぎに到着していました。
仕方なく8時の開門を待って、モデナ駅やロス・エロス駅で長時間停車する地下鉄の中で、少しばかりじれながら、8時半出発の長距離バスに乗り込んで、10時20分頃バルパライソに到着。早速、タクシーコクラン卿航海博物館へ。しかし果たして、そこでも博物館はまだ閉まっていたのでした(笑)。

タクシーの運転手が気の毒そうにして、少し先の海洋博物館まで連れて行ってくれました。コクラン卿航海博物館までなら4,100ペソス、少し足を伸ばしたので結局料金は5,700ペソス。日本円で200円分しか違わないので、むしろこちらとしても有り難く思うことに。丘のふもとで降ろしてもらってアセンソールという斜面昇降用のケーブルカーを利用すれば、100~300ペソスで済んだことも、とりあえず不慣れな土地のことなので、敢えて気にとめないことに。そして、親切で連れて行ってくれた海洋博物館も休館なのか、開館時間がまだなのか、結局閉まっていたことにも、やはりこだわらず、丘の上からの素晴らしい景色を堪能しました。

実際、昨日はこうした旅先ならではのさまざまな「行き違い」を帳消しにしてあまりある程、思い出深いバルパライソ滞在となりました。

昼食も夕食も今回の滞在中で一番食べることができました。
バブリッツァ宮殿の隣にあった「ラ・コロンビア」。給仕のオルランド・バルガスさんがとても品のいい人で、最高に気分のいい食事ができました。お薦めのコングリオ(Congrio 穴子の一種。とても肉厚)のソテーも、念願の「胃」文化体験になりました。カトリカ大学駅の近くのカフェでとった夕食では、ガイトブックにも南米の特徴的な料理のひとつとして紹介されている「ロモ・ア・ロ・ポブレ(Lomo a lo Pobre)」を注文し、3センチ近い厚さの牛肉の塊と格闘しました。

今日は23時05分発の飛行機で帰路につきます。
昨夜は、いつものように夜中に一度起きましたが、ブログの更新作業も控えて十分な睡眠をとりました。

今は、朝食を終えて、ぬかりのないよう荷物の整理をしているところです。
朝風呂を終えて10時前。チェックアウトにはちょうどいい時間。
最後の一日を遠出に充てるのはどうか、と最後まで迷っていましたが、もう一度バルパライソへ出掛けて、昨日休館だった会場を調査しようと思います。

また続きは、10時間待ちのダラス空港で更新したいと思います。

<09/11/24追記>
ダラス空港の待ち時間は10時間でなくて6時間でした。成田の到着時間と間違えていました。訂正します。

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ラ・セバスティアーナの5階にある書斎の窓から世界遺産にも登録されているバルパライソの家並みを望む 2009年11月22日17時48分(快晴)

サンティアゴ調査(4)アメリカ大衆美術館MAPA、現代美術館MAC(パルケ・フォレスタル) [Biennale]

昨日のうちに、サンティアゴ市内のトリエンナーレ会場の調査を終えることができました。
今日は、バスを利用して少し足を伸ばし、バルパライソ会場を調査する予定です。

サンティアゴからバルパライソまでは約120キロメートル。チリ最大の港町で街並みは世界遺産に登録されています。10時に開館する美術館と文化美術相談所、2つの施設を見終えて日帰りする、というのが本日の使命です。日曜休みの施設がほかに3箇所あるのですが、23時出発の帰路便に乗らなければならない月曜も行くかどうかは、行ってみての検討課題。相変わらずの「行き当たりばったり」風ですが、こればっかりは行ってみないとわからない感じでもあります。

サンティアゴ調査は、振り返ってみれば最高の順序で回ることができたと思います。

◆1日目
 1.国立美術館
 2.現代美術館(パルケ・フォレスタル) ※但しキャプションの転記を後回し
◆2日目
 3.視覚美術館
 4.現代美術館(キンタ・ノルマル)
 5.マトゥカナ100劇場
 6.サンティアゴ図書館
◆3日目
 7.アメリカ大衆美術館
 8.現代美術館(パルケ・フォレスタル) ※キャプション転記

アメリカ大衆美術館は、昨日、地図上に印されている場所が全然見当違いだった、という話を書きましたが、最終的に、昨日のうちに通りの名前と番地名をたどって探し当てることができました。

初めての海外旅行は1990年6月のニューヨークでしたが、そのときも通りの名前と番地名で目的地にたどり着けたことを思い出します。というか、最初からそのようにすべきでした。国際美術展の地図が当てにならないのは、ヴェネツィアで散々学習済みのはず。割と歩いて回れる小さなヴェネツィアでも、会場探しのロス・タイムは痛手が大きいのですから。よい教訓にしたいと思います。

ガイドブックに拠れば、サンティアゴは東西約40キロ、南北約50キロメートルにもおよぶ大都会です。しかし主要部分は東西6~7キロ、南北3~4キロメートルで、昨日は歩いて回ることを主体にしたので、脹ら脛がぱんぱんになりましたが、片道400ペソス(約80円)程度の大変安価な地下鉄を利用すれば、ベラス・アルテスからキンタ・ノルマルまではあっという間の15分くらい。
塗装が剥げたり外装が崩れている、すすけた感じのうち捨てられた建物の並ぶ通りも多いようですが、基本的に熱帯風の背の高い街路樹が多く、昼間の散策には悪くない街だ、という印象を得ました。

さて、アメリカ大衆美術館MAPAの企画展名は「ポリロキオ(Poliloquio)」。
どうやらこの展覧会は、トリエンナーレの公式サイトのプログラム欄にはリストアップされていません。
MAPAの公式サイトに、展覧会のフライヤーのような1枚もののページを見つけたので、そちらにリンクを張っておきます。

MAPA/Poliloquio
http://www.mapa.uchile.cl/exposicion_poliloquio.php

この企画展も薄い小冊子が作られていて、企画趣旨や作品紹介を読むことが出来ます。
内容は、チャコ戦争(1932-38年、ボリビアとパラグアイ間の戦争)の記憶を語ってもらうドキュメンタリー映像のようです。
アルト・パラグァイの先住民2名、ピルコマヨ(ボリビア)の5名、Pto. Casadoから1名の合計8名分のインタヴュー映像が8台の小さな液晶モニタによって展示されていました。

ここでも「インディジェネスな問題」が焦点となっていて、こうした展示を見られたことは大きな収穫でした。そして、小冊子の巻末に4名の人類学者の名前が記載されているのを見て、学術的な関心に基づいた「正しい」企画であることを理解すると同時に、展示の様子から、かつてのロンドン万博における「人間の展示」(植民地の人々の生活の様子を、実際に現地から人を連れてきて再現した)とどう違うだろうか、と考えさせられました。

なかなかあわただしくて、このブログで報告できなかった調査出張のひとつに、10/18(日)に福岡アジア美術館で開催された、比嘉豊光によるトーク&上映会「島クトゥバで語る戦世」があります。

比嘉さんは沖縄のおじい、おばあの戦争の記憶を、島言葉そのままに映像で記録しています。大和言葉の字幕がつけられますが、完全には翻訳されません。その言葉の響きそのものの表現力を大切にしたいからだ、という話でもあり、完全に翻訳しないことの大切さを戦略的に意識されている、という話でした。

そのトークイベントで出た話が、夏になるとこぞって東京からテレビ局が取材にやってくる。沖縄の人も結構慣れてしまって、相手の欲しい情報を要領よく提供できるようになっている。「それもまた風化だよね。」という発言に目を覚まされました。

比嘉さんはまた、「東京文化/沖縄文化」という図式をお持ちでした。そして「福岡のあなたたちは、どうなの?」と問い返していました。

MAPAの企画も同じことのように思います。敢えて特定局を冠して表現すれば「NHK的」と言うか。

この場合、NHK的な企画のあることは、何も無いよりは積極的に評価できると思います。しかし、その中で「風化するもの」も意識しておかなければならない、という、こうした問題に取り組む各自の、まさに「意識の問題」です。

MAPAの小冊子に掲載された各人物の顔写真の表情に、露悪趣味を感じ取って、そうした思いを強めました。

8台のモニターのある展示も、すぐ隣の中庭で開催されていたワークショップの作業音がやたらと響いて、うまく聞き取れないし、聞き取れたとしてもまるでわからないので、壁面の解説文を斜め読みし、しばらく各人の表情や仕草を観察し、撮影も終えて、だいたい30分くらいでその会場を後にしました。

そして12時から17時半まで、たっぷり5時間半かかって、MAC(パルケ・フォレスタル)の作品キャプションの転記を行いました。

結局、相当の作品量で、後回しにして本当にうまくいったな、と思いました。
この作業が雑になれば、あとで困るし、先にやっていつまでも終わらない感じのストレスを溜めるのは、その後の見学先にも響いただろうしで、偶然の神様と適当の神様に大感謝です。天網恢々疎にして漏らさず。

この日は朝から快晴だったので、MAPAへ行く前に、サンタ・ルシアの丘にも登ってみました。
「スモッグの街」ともガイドブックに紹介されていましたが、土曜の朝のうちなら、少しは遠山も含めた写真がうまく撮れるかな、と期待して登ってみたのですが、朝は朝のまぶしさがあると言うべきか、絞りを調整してみたり、いくつか試してみましたが、遠山の稜線をはっきりさせようと思えば、手前の街並みは暗くなり、手前の街並みを自然な明るさにしようと思えば、遠山は空に溶け込んでしまう。

目に見えている通りに近い写真を撮るのはなかなか難しいものです。

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サンタ・ルシアの丘から眺めたサンティアゴの街並み 2009年11月21日9時52分(快晴)

サンティアゴ調査(3)視覚美術館、現代美術館MAC(キンタ・ノルマル)ほか [Biennale]

昨日は、良くも悪くもサンティアゴをたくさん歩いた一日でした。

前日の続きで、最初はフォレスタル公園のMACへ出掛けましたが、10時過ぎに着いても開館はまだのようでした。あとで調べてわかった開館時間は11時。
きちんと確認して出掛けなかった自分のミスですが、ホテルのお掃除も9時半くらいから部屋の外で物音をさせていたので、適当な時間だろう、と適当に出て来てしまったのでした。

視覚美術館が近いので、先にそちらへ。一旦中には入れましたが、ここでも係の人から開館時間はまだだよ、と。10時半の開館にあと10分くらいだったので、のんびり外で待ちました。

館の入口に変な顔の描かれたコンクリートが置いてあるな、と前日に来たときも思っていましたが、待っている間に、スペイン語で書かれた説明をよくわからないながらも読んでみると、ベルリンの壁崩壊20周年記念に、その一部が運ばれてきて展示されていることがわかりました。

縦長に切り取られた壁の一部には、中央に大きな口を開けた龍のようなものが描かれていて、口の中に落書き特有の踊った字体で「THINK GLOBAL」と記されています。「年記」も書かれていて、少しかすれて3番目の数字は「9」なのか「1」なのか判別しづらいですが、「1990」と読める気がします。壁の崩壊以降に描かれたもののように思われました。

さて、視覚美術館の企画展名は「アイウィン―陰のイメージ(Aiwin: la imagen de la sombra)」。
企画趣旨に拠れば、「アイウィン」は写真家集団の名前のようです。アンドレア・ホシュ(Andrea Josch)とクラウディア・アステーテ (Claudia Astete)が中心作家で、編集とプロモーションにベネズエラの作家ネルソン・ガリド(Nelson Garrido)が参加し、「土着性についての問題意識(cuestión indígena)」について活動を展開しているようです。

Trienal de Chile/Aiwin: la imagen de la sombra
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/aiwin-la-imagen-de-la-sombra/

展示内容は、マプチェ(mapuche)と呼ばれる言語を持ち、チリやアルゼンチンにまたがって生活している人々の現代の様子を記録したもので、伝統文化を感じさせるものから、現代風の子どもたちの様子まで「特別視」や過度の強調を加えることなく、数で見せている様子でした。しかし、展示室の最初に、1900年に撮影された、マプチェの古老が足かせをはめられている写真が掲げられており、強烈な批評意識を喚起させてもいました。

この展示については独立して図録が刊行されていたので、入手できました。

考えてみれば、この視覚美術館の2階は考古学博物館になっていて、スペイン人が入植する以前の文化を保存研究している文化施設でもあるわけですから、インディジェネスな(私はちょうど今、この欧米語を「地産」と訳す可能性について考え続けています)問題意識の展覧会は、とてもぴったりだ、ということに、ここまで書いてきて思い至りました。

知識と情報とが頭の中でビビッと繋がる瞬間でした。

11時過ぎに視覚美術館を後にして、旧市街の中心部、モネダ宮殿へ。
ピノチェトによるクーデターの際に当時のアジェンデ大統領が立てこもり、空爆によって炎上する中自害した、とガイドブックでも伝えられる観光名所ですが、この建物前の広場の地下の文化センターがあって、そこも会場のひとつになっていました。

「ちりぢり(Chile C"hile)草」さんの2006年2月3日のエントリーに拠れば、この広場と施設は「チリ建国200周年記念(2010年)大事業の一環として先月完成した」、とありますから、今から3年前に出来たと思われます。

ちりぢり草/モネダ宮殿文化センター
http://blog.livedoor.jp/lautaro/archives/50373841.html

今回、チリの歴史についてガイドブックで少し読んで、2006年3月のヘリア大統領就任以来、「経済回復と国際化」が旗印になっていること、1989年の軍事政権転覆からの日が「浅い」ことなどを知りました。現代美術史の観点から見たら、ちょうど中国や韓国に似て、欧米型現代美術市場への積極参入期と言えると思います。トリエンナーレ新設の背景をかいま見た気がしました。

ところでこのモネダ宮殿文化センター(Centro Cultural Palacio La Moneda)での企画展は、会期10/6-11/15で既に終了していました。
この日は、国立美術館で入手したトリエンナーレの小パンフの地図を片手に会場巡りをしていましたが、そこに記載されいた、近くのボルサ・デ・コメルチオ(Bolsa de Comercio)でのイベントも10月7日と8日のみの開催で、いくらその周辺を探してみてもトリエンナーレのバナーは見あたらないわけでした。

「良くも悪くもサンティアゴをたくさん歩いた一日」となった訳は、私の準備不足とこの地図の情報の不完全性によるものでした。

ボルサ・デ・コメルチオは、地図上は、バンデラ(Bndera)通りとオー・ヒギンズ(O'Higgins)大通りとが交わる角に記載されていますが、実際はやや北寄りで、視覚美術館のある街の西側から向かって一本手前のネウバ・ヨーク(Neuva York)通りから辿っていった方が簡単に見つかります。実際私は、バンデラ通り周辺をしばらくうろついた挙句見つからず、諦めて、先にモネダ宮殿文化センターへ向かい、同センターの受付で聞いて場所を確認できました。

しかしこの段階ではまだボルサ・デ・コメルチオのイベントが、開幕時限定のものであることが、「多分そのようなものだろう」くらいの判断で、確証が得られていませんでした。

地図には会期が記載されていません。視覚美術館で配布されていたショートガイドのより詳しい情報と対照させることを思いついたのは、キンタ・ノルマル公園の現代美術館MACに到着して、展示室の椅子に腰を下ろし、一息つくことができたときでした。

実はMACの手前にも同じように開幕時限定のイベント会場となったビクトル・ハラ競技場(Estadio Victor Jara)があると地図には記載されていましたが、この場所も周辺を少し歩き回って見つからないので、再び「多分終わっているな」と判断して先を急いだのでした。

MACで行った会期確認によって、すでに終了していて今回の調査では見られないものは、今挙げたボルサ・デ・コメルチオとビクトル・ハラ競技場で行われたチリの作家ロッティ・ローゼンフェルド(Lotty Roenfeld)のパフォーマンス《チリの競技場I, II(Estadio Chile I/II)》(2箇所とも10/7, 8の同日)と、モネダ宮殿文化センターで開催された3つの企画展「不服従な空間―1970年代チリの言葉とイメージ(El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70')」、「多様な見え方―泥の美術館(Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro)」(以上2つは10/6-11/15)、「映画とヴィデオ・アートの世紀(Ciclo de Cine y Video-Arte)」(10/8-16)であることがわかりました。

El Espacio Insumiso. Letra e imagen en el Chile de los 70'
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/el-espacio-insumiso/
Una Mirada Múltiple, El Museo del Barro
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/una-mirada-multiple-el-museo-del-barro/

見逃した企画展はいずれも「地産美術」の考察に関連が深そうな様子で残念ですが、イスタンブールの会期の方が先に終了する都合や、9月中には日本を離れにくかった事情などから仕方がありません。

MACの展示は、チリの若手作家を中心とした現代美術展で、見応えがありました。
特に印象に残った作家は、会場1階の左手の部屋で展示を行っていた、ニコラス・フランコ・グズマン(Nicolás Franco Guzmán)です。鉄パイプを組んで、巨大な照明灯を4つ点灯していました。天井の高い部屋全体が強烈な明るさになっていて、最初はそれだけの作品かと思っていましたが、2階に上がる途中で、建物内のステインドグラスが輝いている様子を見て、先の照明によって裏から照らされいることを理解しました。そもそもなぜ採光のそれほどよくない建物内にステインドグラスが設置されているのかということ自体が疑問ですが、グズマンの試みはそうした疑問を、現状をより美しく見せることによって喚起している点で秀逸と思われました。

MACの企画展名は「チリの地震(El Terremoto de Chile)」。
「地震」は、チリ美術界の「地殻変動」を象徴させたネーミングだと思われます。

会場は、MACのほかに同美術館の同じ通り沿いにあるマトゥカナ100(Matucana100)という複合文化施設と、その道路向かいにあるサンティアゴ図書館にも展開されていました。

マトゥカナ100の企画は、フェルナンド・プラッツ(Fernando Prats)の個展で、「チリの地震絵画(Sismogafía de Chile)」と題されたシリーズは、火山噴火などを利用したドローイングでした。間欠泉の手前に紙を置いてその様子を記録するなど、ヴィデオと成果物の展示のほか、ときどきまさに「衝撃的な」噴火の音も会場内に鳴り響いて、面白い展示でした。

さて、サンティアゴ図書館前の広場に展示されているモニカ・ベンゴア(Mónica Bengoa)の作品を撮影し終えたのが17時過ぎ。
地図上は結構まだ距離がありそうでしたが、開館時間が19時までとあったので、アメリカ大衆美術館(MAPA: Museo de Arte Popular Americano)を探して、歩き始めました。

これもまた一苦労で、要するに地図に記されていた場所は全然検討違いの場所だったし、途中、近道のつもりで横切ろうとしたキンタ・ノルマル公園は塀で取り囲まれた公園で、結局公園内を半周することになって、すっかり森林浴を堪能したりで、相当、昼食抜きの体と足を酷使することになりました。

ヴェネツィアでもカッセルでも、展示の量と会場の広さが滞在時間を圧倒しているので、お昼抜きで歩き回ることには慣れていますし、こうして歩き回ること自体が、自分の体に街の記憶を刻みつけることだと思っているので、まさに「良くも悪くも」なのです。

そして、こうして各地を旅行していると、いつも旅行中に1日くらいは、何をやっても「空振り」の日があって、この日は、帰りに利用した地下鉄もホテル近くのベラス・アルテス駅を素通りしたり(心の中で「ドナドナ」を口ずさんでいました)、気を取り直してユニベルシダッド・カトリカ駅へ向かうためバケダノ駅で乗り換えしようとしても、一方通行が原則のサンティアゴの地下鉄構内で、まるでRPGのダンジョンを彷徨う主人公の気分になったり、ホテルで一息ついたあとも、目当てにしていたレストランが予約で満席で、ホテルを真ん中として南の満席だったレストランから北の遅くまでやってる日本料理店へと1キロ近い道のりを行ったり来たりで、確かに、次回は万歩計を携帯して旅行するのも一興かと思う一日でした。

『地球の歩き方』で紹介されていたベラス・アルテス駅近くの日本料理店「金太郎」。同書お薦めのラーメンは、湯麺を頼んでみましたが、野菜たっぷりあったかスープで、疲れ切った体をすっかり回復させてくれました。夜の一人歩きも、寂しそうな道さえ通らなければ大丈夫そうです。

1日目のカフェで食べたのがシーフード・パスタ。2日目の夕食はラーメン。ということで、チリ料理そのものには、まだありつけていません。今夜こそ、昨日のレストランに予約を入れて、「異」文化を「胃」で学ばせねば。

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サンティアゴ西部を南北に走るアウトピスタ・セントラル道路から北に見えた山 2009年11月20日17時51分(曇り)

サンティアゴ調査(2)国立美術館MNBA、現代美術館MAC [Biennale]

サンティアゴの空港に降り立ったのは午前10時頃。
こちらは夏時間で、日本との時差は12時間。ちょうど地球の真裏にいることになります。

前回サンパウロに降り立ったときも、なんか地球の裏側まで来ちゃったな、という感慨がありました。
今回も同じ感じで、妙に体じゅうに力が漲ります。

そして前回は、帰国したその日が山口県美で雪舟展のオープニングで出掛けましたが、
時差ボケで意識が朦朧とし、ろくな会話も出来なかった記憶が蘇ります。
今回、帰国しても展覧会の開幕式などのイベントと重なっていないのは幸いです。


さて、先のエントリーで、「ストロイリ風」と紹介した作品は、果たしてストロイリ本人の作品である可能性が濃厚になりました。
書き終えたあと、なおも時間があったので、インフォメーションに問い合わせたところ、
ダラス空港のアートプログラムについて簡単な紹介をもらいました。

そこには、「ソル・ルウィット、ピーター・ハリー、デニス・オッペンハイム、クリストファー・ジェイニー、ベアト・ストロイリなどによる25作品」という記述がありました。
まだ、「確定」はできませんが、「ほぼ確実に」と言うことができるでしょう。かえって、ラファエル・ソトの名が無いのに弱ったな、と思っているところです。
ジェイナ・スミスさんという年配の女性が、とても親切に応対してくれました。滅多に聞かれないような問い合わせ内容に興味を持ってくれた感じでした。


ホテルへは11時頃到着しました。
空港の到着ロビーはタクシーの勧誘員が次から次に声をかけてきます。
「バスに乗りたいんだけど」と断っても、「ミニバス(=乗り合い)だよ」と言われて運転手を紹介され、駐車場までついて行ったら結局タクシーだった、というのが今回の私の体験談です。
料金は17,000ペソス。日本円に換算して約3,060円です。
Yahoo!ファイナンスで調べたところ、現在、1チリペソは0.18円でした。

今回は円→ドル→ペソと2回両替したせいか、結構目減りしたな、という印象です。
3万円を単純に換算すると168,908ペソス。
成田で、29,975円が326ドルに(単純換算なら337.06ドル。この時点で11ドル=約1,000円分目減り)。
そしてサンティアゴで、326ドルが151,866ペソスに(同163,228ペソス。約11,362ペソス=約2,000円分の目減り)。
どうやら、サンティアゴの空港の両替所のレートの方が悪かったみたいです。
そして、同両替所の日本円からのレートは5円と表示されていましたので、ざっくり150,000ペソスに減るよりは、結果的にドルで持って行って得したことになります。
(街の両替所のレートを見ると地団駄を踏むことになるかも知れません。)

旅行では、いつも自分が最善のレートで両替できたか、がとても気になります。
最近は成田での両替で損した気分になることはありませんが、以前、90年代前半は、銀座にあった東京銀行支店で両替してから海外に出掛けていました。
同店のレートはすこぶる悪く、日本で大金を両替しないで、空港から市内へ入るための交通費など、当座必要分のみを両替し、あとは現地で換えた方が良いような場合もありました。


さてさて、サンチアゴでの調査の1日目は、時差ボケ、睡眠不足もあって、途中でホテルに帰りたい気分になりつつも、
なんとか国立美術館と現代美術館の会場撮影を終えました。

どうやら、まだ図録はまだ出来ていないのか、あるいは刊行する予定がないのか、
入手できたのは小さなガイドブックぐらいです。
そこで、万が一に備えて、すべての作品の主要キャプションデータを手帳に書き写すのですが、
これが睡眠不足の体にまったく向かない作業で、最後のフロアは諦めました。明日出直して追記し、合わせて図録の刊行予定を確認したいと思います。

チリ・トリエンナーレの大きな特徴は、サンティアゴ・トリエンナーレでなく、「チリ」と国名を冠している点にあると言えます。
つまり、横浜トリエンナーレと言わず、日本トリエンナーレ、と言っている感じです。

同展の公式サイトのプログラム欄を見てびっくり。
北から、イキケ(Iquique)、アントファガスタ(Antofagasta)、バルパライソ(Valparaiso)、サンティアゴ(Santiago)、コンセプシオン(Concepción)、テムコ(Temuco)、バルディビア(Valdivia)各都市で開催される展覧会が一覧表示されています。
南北に長い国土の「全域」とまではいかないですが(氷河国立公園などのある南端の寒い地方は含まれていません)、約2,000キロメートルに及ぶ広域に会場が散らばっています。

Trienal de Chile/Programación
http://www.trienaldechile.cl/programacion/

今年が第1回展で、各会場の規模の予想が全然つかないので、とりあえずサンティアゴを拠点として4泊5日滞在し、余力があれば一番近いバルパライソ会場まで足を伸ばそうと考えています。

国立美術館(MNBA: Museo Nacional de Bellas Artes)は、地下1階、地上2階建ての、中規模程度の美術館でした。
トリエンナーレの展示も、1階南側の5室を使った小企画展といった趣でした。
1階北側ではベルリン現代写真展、地下ではゴードン・マッタ=クラーク展が開催され、2階はロベルト・マッタやフアン・パブロ・ラングロイス(Juan Pablo Langlois)など、チリゆかりの作家の常設展示でした。

同会場の企画展名は「国家の領土―19世紀チリの風景画と地図製作(Territorios de Estado Paisaje y cartografía. Chile, siglo XIX)」。
アントニオ・スミス(Antonio Smith)、ヤコブ・ワード(Jacob Ward)、トーマス・ソマースケイルズ(Thomas Somerscales)など19世紀の画家による油彩画33点をひとつの壁面3段がけしたり、アマド・ピシス(Pedro José Amado Pissis)の水彩画23点や、同ピシス製作のチリ地図全13枚などが展示されていました。
このうち、トーマス・ソマースケイルズは、チリ屈指のリゾート地ビーニャ・デル・マルに同画家の家をホテル化した施設があるようです。

Hotel Casa Thomas Somerscales
http://www.hotelsomerscales.cl/historia.html

小学校の使い古した机の随所に切れ目を入れて43台並べた、現代作家による展示室表現(インスタレーション)もありました。
アリシア・ビラリール(Alicia Villarreal)の《領土の記録(Grabar el territorio)》です。
同じ綴りで「アリシア・ヴィラリール」という女性ヴォーカリストがいるようですが、きっと別人でしょう。

国立美術館の他の企画展や常設展もじっくり堪能して、『地球の歩き方』には「ビスアレス美術館」と紹介されている視覚美術館(Museo de Artes Visuales)へ向かいました。
しかし、展示作業の都合か何かで「1時間後の4時にまた来れば開いてると思う」という係の話。
近くのカフェで遅い昼食(兼夕食)をとって、再び戻ると、別の係の人が「1時間後の5時なら開いてると思う」。
要するに「1時間後」というのは、何の確証もない数字だな、と独りごちて、別の会場へ。
ラテン気分満喫です。

サンティアゴ市内に、現代美術館(MAC: Museo de Arte Contemporáneo)は2つあるようです。
国立美術館と同じフォレスタル公園(Parque Forestal)と、それより2キロメートルほど西のキンタ・ノルマル公園(Quinta Normal)のそれぞれです。
昨日訪れたのは、フォレスタル公園の現代美術館です。

企画展名は、うまく訳せているか自信がありませんが、敢えて訳すなら「不純物と汚染物III―ミクロ美術館の起源における多様な(新)バロック(Lo impuro y lo contaminado III: pulsiones (neo)barrocas en las rutas de Micromuseo)」です。
内容は、確かに「不純」や「汚染」を感じさせるような絵画がたくさん並んでいました。
それで、すっかり気力も萎えて、なんとか撮影だけ終わらせてホテルに戻ったのでした。

その中でも、公式サイトにも図版が紹介されているアルフレッド・マルケスとアンジェル・バルデス(Alfred Márques y Ángel Valdez)の《イメージと類似性のためのプロジェクト(Proyecto A Imagen y Semejanza)》は見応えがありました。

Trienal de Chile/Lo Impuro y lo Contaminado 3. Pulsiones (Neo)Barrocas en las Rutas de Micromuseo
http://www.trienaldechile.cl/exposiciones/lo-impuro-y-lo-contaminado-3-pulsiones-neobarrocas-en-las-rutas-de-micromuseo/


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2階から眺めた国立美術館ホール 1階正面の灰色の壁の奥がトリエンナーレ関連企画展の会場 2009年11月19日14時15分(曇り)

サンティアゴ調査(1)移動日 [Diary]

成田を19時に出発の飛行機に乗るために、山口の自宅を朝9時に出ました。
なんとも長い長い移動日の始まりです。

山口には国際空港がないので、これまでも関空や成田を利用してきました。
結構、関空が多かったと思います。
関空利用時は、前泊か後泊で、国立国際美術館の企画展の見学を入れたりします。

今回は、福岡から成田に直接飛ぶ便がとれなかったので、先ず羽田に飛んで、そこから京成線で成田へ。
山口→新山口→博多→福岡空港→羽田空港→成田空港→ダラス空港→アルトゥロ・メリノ・ベニテス空港(サンティアゴ)と、「→」の間は、ずっと座りっぱなしです。
今は、ダラス空港で乗り換え待ちをしています。

ダラス空港は、2006年サンパウロ調査で来て以来。
旅券審査の部屋の窓部分に飾ってある写真が、ベアト・ストロイリっぽくって印象に残ります。
街頭で撮影された顔写真を大きく引き伸ばした作品は、この世界がさまざまな人種の人々で成り立っており、それぞれに尊厳があるという気持ちにさせてくれて、いい感じです。
ただし、そうした作品のある部屋で、私たちは顔写真を撮影され、両手の指紋を登録されて、データベース化されていくのが、痛烈な皮肉ですし、とても危うい均衡を感じさせます。
このような非人間的な米国の入国管理システムが、ストロイリ風の人間的な美術表現を要請しているのだ、とも感じます。

今回「ストロイリ風」としかここに紹介できない写真の本当の作者は、帰路便の機会に確認したいと思います。
ロビーで「アート・ガイド」というパンフレットを見つけたのですが、そこには説明されていませんでした。

入国検査場へ向かう長い下りエスカレーター正面の壁に展示されているのが、ラファエル・ソトだということは、キャプションを見ずとも確信をもって言えるのですが。

<09/11/24追記>
帰路便の入国審査時にキャプションを見てみたら、なんと「ラファエル・ソト」ではなく、トム・オール(Tom Orr, 1950- )というアメリカ合衆国の美術家でした。2台のエスカレータのそれぞれに《Untitled #1》(縦目の筋)、《Untitled #2》(横目の筋)が設置されています。制作年はどちらも2005年。いかにもラファエル・ソト風に目がちらちらする錯視効果を利用した作品です。「確信をもって」と書きながら、そんな確信が覆されそうな危険な感じもしていたのですが。確認の成果として、訂正情報を報告します。どうかお許しを。

20091118blog.JPG
ダラス空港の入国検査場 2009年11月18日15時42分(シカゴ時制)(晴れ)
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